南部のお話

丑の刻まいり

 むかしむかし、藤心(ふじごころ)村にははやり病いがたくさんでたことがことがありました。村人の中にも、はやり病いにかかる者が何人もいました。藤心(ふじごころ)村には、医者がひとりもいなかったので、病いにかかった者は、静かに寝て治るのを待つよりほかはなかったのです。

 もとは十八才。年老いたじさま〈じいさま〉とおっかあと、小さな妹の四人でわずかな土地を耕しながら暮らしていました。おっかあは、朝暗いうちに起きて、自分の家の野良(のら)仕事が終ると、すぐ、よそのうちの野良(のら)仕事の手伝いをして、夜遅くなってから帰る日が何日も何日も続いて、とうとうはやり病いにかかってしまいました。

 何日もおっかあの熱はさがりません。

「おっかあ、おけ〈おかゆ〉だよ。」

 わずかにたくわえておいた米で、もとは、おかゆを作っておっかあに食べさせました。おかゆが一番のごちそうだったのです。それでも、おっかあの熱は下がりません。

 思案〈しあん〉にくれたもとは、

「んだ。丑の刻(うしのこく)めえり〈参り〉をすんべ。ずっとめえ〈まえ〉誰か、そんなこと言ってたっけな。」

と、丑の刻(うしのこく)参りをすることにしました。丑の刻(うしのこく)参りとは、家を丑の刻(うしのこく)にたった一人で出て、村はずれの神社まで行き、お願いをすることです。途中で誰かにあえば神様に願いが通じなくなってしまうので、こっそり行かなくてはなりません。これを一週間毎日続けるのです。

 もとはその日、丑の刻(うしのこく)が近くなったころ、そうっと寝床を抜け出そう、としました。するとおっかあは、なぜか目をさまし

「もと、いしゃ何すんだ。まさか丑の刻(うしのこく)めえりやんじゃあんめえな。もと、やんじゃねえよ。やんじゃねえよ。」

と小さい声で言いました。もとは、

「おっかあ、そんじゃねえはばかり〈便所〉だよ。」

 そう言うともとは、外に出て、八幡(はちまん)様まで小走りに走って行きました。

「誰にもあわねえように、誰にもあわねえように。」

 道のわきで物音がするたびに、もとはこしをぬかすほどびっくりしながらも、自分の足もとさえはっきり見えない中を急いで行きました。八幡(はちまん)様に着くと、あたりを見まわして、

「神さま、おねげえです。おらのおっかあの病いどうぞ治してください。」

 もとは、一心に祈り続けました。

 三日たち、四日たち、一週間目になりました。もとがいつものように八幡(はちまん)様でおがんでいると、何やらドタドタと階段を登るような音がしました。

「ああ、誰かに見つかってしまう。もうだめだ。おっかあは治らねえ。」

 もとは、必死で神殿のかげにかくれてあたりを見回しましたが、不思議なことに、いっこうに人が来るようすはありませんでした。

 もとがほっとして、足もとを見ると、何やら動くものがありました。近づいて見ると、一ぴきの白いねずみが、もとの足もとで動いていたのです。ねずみは、手まねきをするようにもとの少し前をちょろちょろ動き、もとの家まで一緒に来ました。もとが家の中へ入ろうとすると、いつの間にか、白ねずみはいなくなっていました。

 それから、おっかあの病いは、ずらずら〈どんどん〉良くなりました。

このお話しの舞台


参考資料