むかしといっても、ほんの少し前までは、増尾(ますお)や名戸ヶ谷(などがや)の台地には松がうっそうと茂った林が続いていました。そのところどころに、低地がはいりこんでいて、泉がわき出て、小川が流れていました。
秋には小金色の稲がみのりました。冬になると人々は、山仕事に精を出し、一年分のたき木を納屋(なや)の中やまわりにつみあげました。このたき木が一年たつと、だいじな塩と交換できるのです。台地の上には、よその村へ、続く白い道があり、その中に『塩の道』といわれている行徳(ぎょうとく)への道もありました。
「ばあさまや、もうそろそろ、行徳(ぎょうとく)に塩どっけ(塩とりかえ)に行くころだなや。」
「今年あたりから、三左衛門(みざえもん)に行ってもらったらどうがな。道中(どうちゅう)寒さがこたえるだっぺ。」
「なんだって、まだまだ若いものにゃ負けん。行徳(ぎょうとく)で温石(おんじゃく)(塩を煮つめるかまの底につく塩のかたまりで、今のカイロの役目をした。)もらって、たき火であたためれば、でえじょうぶだ。」
「じいさま、おれにももらってきてくんろ、温石はあったけえくて、腰のいたみとりにいいからよ。」
「今年は、馬を買いかえたから、荷もたくさんつけられてよかんべ。」
「納屋(なや)には、まき(松の木を適当な長さに切ったもの。)もたくさんのこってるから、なぐり(松の枝おろしをしたものから葉をおとしたもの。)や、まきはがら(松の枝に葉をつけたもの。)は、つめたらつんでくことにすんべ。」
「そんなら、馬を買った借金もけえせそうだな。」
「しょうがなければ行徳(ぎょうとく)へ行けとはほんとうだない。」
「ほんとうだ。うちには塩もないのに、借金ばかりでどうしようもなくなっているんだものな。」
「そんじゃ、そろそろ村の衆とよりあって、良い日を決めて、みんなで子荷駄(こにだ)馬をひいてくことにすんべや。」
と、ばあさまは畑に出かけていきました。じいさまはいっぷくすると
「どれ、今年も良いたき木を、しこたまこさえんべや。」
と、山仕事に出かけていきました。
このように、このあたりの村には、『塩どっけ』や『しょうがなければ行徳へ行け』ということばが、語りつがれていったのです。
今でも『ぎょうとくへ』とほられた石の『道しるべ』も、藤心(ふじごころ)の道のほとりに残っています。