北部のお話

七里ヶ渡し

 布施(ふせ)入口から右へ少し行くと、布施(ふせ)と戸頭(とがしら)を結ぶ新大利根橋(しんおおとねばし)に出ます。今、このあたりは広々とした田園風景に包まれていますが、その昔は七里ヶ渡し(しちりがわたし)といって、とてもにぎわったと渡船場(とせんじょう)でした。

 なにしろ、ここ布施(ふせ)には、関東三弁天のひとつといわれる有名な弁天様がまつられているのですから、近郷近在(きんごうきんざい)はもちろんのこと、遠く関宿(せきやど)や江戸の方からまでも、信者が参詣(さんぱい)に集まってくるのでした。

「お客さん、目が悪いようだが、弁天参りかね。」

「ああ、ここの弁天さんはご利益(りやく)があると聞いたもんでね。」

「福をさずけてくださるだけでなく、目の病気もなおしてくださるんか。」

「ありがたい。ありがたい。」

 今日は丑(うし)の日、丑(うし)の越し番(補足)の船頭と、船に乗るお客たちが、お茶を飲んだり、たばこをすったりしながら、いろいろ世間話をして船の出るのを待っていました。

「船が出るよう。」

 船頭の呼び声に外に出てみますと、回船問屋(かいせんどんや)の若い衆たちが、威勢よく船荷を陸揚げしています。七里ヶ渡し(しちりがわたし)は、こんな場所でしたので、回船問屋(かいせんどんや)や宿が十数軒ありました。また、旅人や、若い衆相手の茶店(ちゃみせ)も軒(のき)を並べ、それは栄えたものでした。

 しかし、のどかで平和な日々だけが続いたわけではありません。

 秋の長雨の季節になりました。今日も雨がふり続いています。

「よくふるなあ。そろそろやんでくれねえと、大変なことになるぞ。」

「今日でもう三日もふってるもんな。白馬(はくば)がこなければいいが。」

 村人は、利根川の増水を心配して、見回りに出かけました。このあたりは、今までに何度も何度も、この白馬(はくば)におそわれています。

 上流から濁流が二メートル余りの高さで押し寄せるその荒れ狂う波のようすはあたかも白い暴れ馬がおそって来るようだったので、村人は『白馬(はくば)が来るぞっ』といって、恐れおののいたのです。今では、広さ11.8平方キロメートルもの田中遊水地(たなかゆうすいち)で守られていますが、このようなもののまったくなかったその昔は、どんなにおそろしかったことでしょう。


(補足)

丑の越し番 子・丑・寅・・・の十二支に合わせ、十二軒の家がそれぞれの日を受けもって、その日の越し番をしました

このお話しの舞台


参考資料