
昔な、泉村に「おかん婆さん」と呼ばれたばあ様がおっただ。
なんでも、寛文年間、紀州は塩津浦の生まれらしいが、いつの頃からか泉村に住みつくようになっただ。
このおかん婆さん、なぜか泉村の村人の機嫌を損ねてな、「おかんばばあ」とののしられてよ、ずいぶんと意地悪もされていたらしい。けんど隣村の鷲野谷の村人からは、いつも優しくされていたんだと。
その、おかん婆さんが亡くなるときのこんだ。「泉村のもんが倉を建てたら、皆んな燃やしてやる!」と呪いの言葉を残したそうだ。最初は誰も信じなかったけんど、誰かが倉を建てっと燃えてしまうだと。その次も、またその次も。次第に皆んなおそろしくなってよ、「これはおかん婆さんのたたりにちげえねえ」と。

それで村のもんは、泉村と鷲野谷村の間の染井入り堤におかん婆さんを弔う地蔵さまを建てたんだと。染井入り堤をおかんど堤と呼ぶのはそのためだよ。それからは倉を建てても燃えることはなくなったそうだ。 でもそのうちによ、そのお地蔵様を蹴り飛ばすやつがいてな、そのうち割れてしまったんだ。このままじゃまずいというわけで、明治21年に新しいお地蔵様を龍泉院の境内に建てたんだ。
今も龍泉院の境内に残る、そのお地蔵様には、おかん婆さんの戒名「応誉妙感尼」と亡くなった日付、享保15年9月4日没と刻まれているんだよ。