「下にいー。 下にいー。」
の声に合わせて、水戸家の行列がおごそかに続いています。
その行列が小金の宿を過ぎると、徳川幕府が直接おさめている広い広い小金牧(こがねまき)がひらけています。いくつもの土手でし切られ、たくさんの馬が所せましと、かけめぐっています。
中央の道の両側には、天にもとどく松並木がずっと続いていて緑のトンネルのようでした。
ちょうど松並木がとだえた所に、水戸街道の休けい所として知られている柏があります。その入口には桜の大木が二本ありました。一本はもう大きな切り株になってしまいましたが、残りの一本は春になると、もも色の花が一面に咲きほこり、言葉では言いつくせないほど、美しいながめでした。その下で人々は旅のつかれをいやしていました。
水戸の殿様もこの茶店をひいきにして、水戸街道を通る時は必ず、お休み所として利用し、殿様をはじめ多くの家来が、ここで昼食をとるならわしになっていました。
ある日のこと、水戸の殿様が桜ふぶきの中で、おべんとうを食べておりますと、じっと自分の方を見つめている生きものに気がついて、はっとしました。この家の犬かなと思ってよく見ると、犬ではなくそれは、年老いた野ぎつねでした。殿様は、とっさにいたずら心を起こし、このきつねをからかってみようと思いつきました。
そこで、食べ終わったべんとう箱を横において、きつねに向かって
「これ これ。」
と手招きをしました
すると、どうでしょう。
きつねは、こわがる様子もなく殿様をじっと見ながら進み出ました。
殿様は
「これ、野ぎつねや、その方、能があるか?もし能があるのなら鳴いてみてはどうじゃ。」
といいました。
老ぎつねは、ちょっと考えるように小首を傾けていましたが、さっと顔をあげると
「コン・コン・コン。」
と鳴いてみせました。
「おうー、みごとじゃ。ほめてとらすぞ。ハッ・ハッ・ハッ。」
と大声で笑い出しましたので、おつきの者がびっくりして
「殿、何か、ござりましたか。」
とすすみ出ました。
「見てみい、野ぎつねめが、余のいうことを聞いて、鳴きおったぞ。」
と満足げにきつねのいた所を指さしました。
ところが家来の足音におどろいたのか、もう老ぎつねの姿はどこにも見当たりませんでした。
「殿、見あたりませんが、きつねはいずれに。」
と探しまわっている家来に向かって殿様は
「お前達は、きつねに化かされたのだ。」
と上きげんで言いました。
しばらくして
「お立ちいー。」
の合図で殿様は、からのべんとう箱を返そうと、さっき置いた場所をよく見ましたが、どこにもありません。
「その方ども、わしのべんとう箱を片づけてくれたのか。」
「いえ、手前どもは、いっこうに存じませぬ。」
みんなで探してみましたが、やっぱり見つけることはできません。
べんとう箱といっても、殿様ご使用の品物ですので、三つ葉あおいの金まき絵のついているすばらしい物です。そんな大切な品を、ただ見つかりませんでは、すまされないので家来の者も、茶屋の人達もまっ青になり、ただおろおろするばかりでした。
だからといって、出発の時刻をおくらせることもならず心を残しながら、我孫子の宿へと向かって行きました。
長い、長い行列は、無事水戸へ着きました。
殿様は、お城の中の、ご自分の部屋に足をふみ入れたとたん
「なんじゃ、これは。あの時のべんとう箱ではないか。」
と大声でさけびました。
床の間の正面に、あの柏の桜株の茶店でなくなったべんとう箱が、きちんとおいてあるではありませんか。
これをみた殿様は
「野ぎつねめ、やりおったな。」
とおっしゃって、思わずひざを打ちました。そして
「一国の領主たるものが、たとえ旅の気ばらしとはいえ、野ぎつねをからかったのは、余のあやまりである。」
とじぶんのおろかさに気がついて、さっそく家来を呼びよせ
「さだめし、茶店の者達が心配していることだろう。その方、これより参って野ぎつねのほこらを建てるよう伝えよ。」
と申し付けました。そして茶店に水戸屋の屋号をおくりました。
この知らせを聞いた茶店の七右衛門は、向かいがわの空地に鳥居やとうろうのある、りっぱなほこらを建て、桜株稲荷大明神と命名して、いつまでも、きつねを大切にしました。
近所の人達も、それから後は、水戸屋稲荷と呼んで、商売繁盛の神様として、信こうを深めたということです。