南部のお話

まれいど

 江戸時代のことです。増尾村の人々が、妙見堂(みょうけんどう)に集まって、おしゃべりをしながら祭りの準備をしています。

 妙見堂のまわりには、集落がひろがり、その北側には、西の方から川が流れてきていました。川のふちに立つと、刈り取りの終わった向かい側に、村人が城山とよんでいる山が、ところどころ紅葉して見えました。

「今年も、相馬のお殿様の妙見まいりがあったよな。」

「もう奥州に移って何百年もなるのに、ありがたいことだな。昔の土地を忘れないでよ。」

 相馬氏とは、平家の流れをくむ千葉一族で、増尾を含む相馬地方を支配したためについた名前です。その後頼朝が、奥州征伐のほうびとして今の福島県の一部を与えたので、そちらに移ったのでした。やがて、江戸時代になって、参勤交代のたびに、相馬のお殿様の妙見まいりが続いているのでした。妙見菩薩は、国土を守り、わざわいをのぞくといわれています。

「今年は妙見菩薩のおかげで、なにごともなく過ごせたものな。」

「おれたちが、この祭りをするのも、ご先祖様が、相馬氏とかかわりをもっているからだそうだよ。」

「それに、増尾には、馬に縁のある家号が多いよな。」

「おれの家は『 馬洗戸(まれいど)』というが、なんでも、お殿様の馬を家の裏の川で洗ったからっていう話だ。」

「ところで、『 修(しゅうじ)』っていう屋号は、なんだろう。」

「なんでも『馬洗戸』への行き帰りの馬が集合したところって話だ。」

「喜平さんとこは、馬を訓練していたので『馬場(ばんば)』というらしいよ。」

「それに『根古屋(ねごや)』という屋号がある。あれは、馬の世話をした人や馬が寝たところだという話だ。」

「ここの少林寺には、相馬さまのご先祖の霊がおまつりしてあるそうだよ。『館(やかた)』という家も、むかしこの辺にあったというし・・・。」

「いまでも相馬さまは”野馬追い”という妙見菩薩の祭りをやっているそうだよ。」

「ご先祖の平将門様がやっていたことを続けているんだよな。」

「そうすっと、このあたりは相馬さま直属の家来ってわけか・・・・。」

「そんなものらしい。」

「昔だったら、もっといばって歩けたってわけか。」

「ちげえねえ・・・・。」

 妙見堂の屋台からは、たいこの音がきこえはじめました。

このお話しの舞台


参考資料