北部のお話

でいだらぼっち

 むかし、布施(ふせ)村の近くに、でいだらぼっちと呼ばれる大男が住んでいました。せいは3メートル近くありましたが、とてもやさしく、少しボーっとしたところもありました。子どもたちは、みんなこの大男が大好きで、いつもいっしょに遊んでいました。

 ある年、村に日照りが続きました。たんぼの水は干上り、畑にはほこりさえ舞っていました。井戸水も少なくなり、稲や野菜や、そして人間さえもみんなふうふうしていました。老人たちが集まっては、何かよい考えはないかと相談していましたが、雨を降らせる名案は出てきません。

 そんなある夜、でいだらぼっちは、『布施(ふせ)の弁天さまをひとまたぎする者がいれば雨は降る』と、いう夢を見ました。さっそく、このことを村の人に話しましたが、

「そんなばち当たりなこと、よく言えたもんだ」

「何をばかこけ。いよいよ狂ったな。」

などと言って、信じてくれる者は、ひとりもいませんでした。

 しかし、相変わらず日照りは毎日続き、村の人たちは、ますます元気がなくなっていきました。子どもたちも、あまり外で遊ばなくなってしまいました。

 2・3日たった朝、むっくりと起き出したでいだらぼっちは、布施(ふせ)の弁天さまの方をじっと見つめて、

「おらは、この村が好きだ。この村の子どもは大好きだ。」

と、つぶやくと、弁天さまを目がけてゆっくりと歩き出しました。不思議なことに、でいだらぼっちはずんずん大きくなっていくのです。しまいには頭が雲の上に出てしまいました。毛むじゃらな2本の足だけが、のっし、のっし、と動き、そのたびに地面がゆれていきます。そして、とうとう布施の弁天さまをひとまたぎしてしまいました。

 とたん、空は黒雲におおわれ、大つぶの雨が降り出しました。稲は生き返りました。人々は、おもいおもいのかっこうで、降りしきる雨の中を踊り狂いました。その中に、でいだらぼっちの姿はありませんでした。その後もでいだらぼっちを見た人はありませんでした。仲よしだった子どもの話では、そのまま利根川をまたぎ、筑波山の方へ歩いていったということです。

 ひとまたぎした時の、左足の跡があけぼの山公園下に、そして右足の跡が、宿連寺(しゅくれんじ)の天王さま近くに今でも残っています。

 でいだらぼっちの足跡は、逆井(さかさい)にも酒井根(さかいね)にも、高田(たかだ)にもあります。

このお話しの舞台


参考資料